宗像大社

 こんにちは、本日は宗像大社のことについて書いてみたいと思います。

宗像大社~ 

 宗像大社とは福岡県宗像市田島にある「辺津宮(へつぐう)」・大島にある「中津宮(なかつぐう)」・沖ノ島にある「沖津宮(おきつぐう)」の三社を総称するものです。それぞれに女神さまが祀られており宗像三女神と呼ばれています。

宗像三女神

辺津宮市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)

中津宮湍津姫神(たぎつひめのかみ)

沖津宮田心姫神(たごりひめのかみ) 

 宗像三女神の誕生は天照大神とその弟の素戔嗚尊(スサノオ)による誓約(うけい)によるものであります。古事記及び日本書紀に記されています。

~誓約(うけい)~

 天照大神が弟の素戔嗚尊の謀反を疑い、それを占いの結果で決めようとしたことです。お互いの物実を交換しそこで女の子が生まれれば疑いは晴れ、逆に男の子生まれると謀反を企てているとみなされるということです。素戔嗚尊は自分の剣を差し出し、天照大神がその剣をかみ砕き息を吹くと三女神が産まれたという話です。

~道主貴(みちぬしのむち)~

 宗像大社の神様は「道主貴(みちぬしのむち)」と呼ばれています。古来より大陸との行き来が盛んだったことも影響していると思われます。道にも色々あり、交通安全はもとよりあらゆる道(剣道・茶道・華道・柔道・吟詠道などなど)を指します。その道を究める神としてあがめられています。わたくしも小学生のときは奉納剣道大会に参加していました。「貴(むち)」のつく神様をお祭りしている神社は伊勢神宮天照大神の「大日靈貴(おおひるめのむち)」と出雲大社大国主命 「大己貴(おおなむち)」そして宗像大社の三社のみです。貴は最高の神につけられる称号です。

~神勅~

 

 神勅とは天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨される際にくだした三大神勅が有名です。神道の基本の考えです。

  • 天壌無窮の神勅 - 葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ。
  • 宝鏡奉斎の神勅 - 吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし。
  • 斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅 - 吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし。

さらに、同段で天照大神が臣下の天児屋命太玉命に下した侍殿防護の神勅、高御産巣日神の下した神籬磐境の神勅。この2つの神勅を併せて「五大神勅」という。

  • 侍殿防護の神勅 - 願はくは、爾二神、また同じく殿の内に侍ひて、善く防ぎ護ることをなせ。
  • 神籬磐境の神勅 - 吾は則ち天津神籬た天津磐境を起樹てて、まさに吾孫の御為に齋ひ奉らむ。汝、天児屋命太玉命、宜しく天津神籬を持ちて、葦原中国に降りて、また吾孫の御為に齋ひ奉れと。

古事記』の天孫降臨の段にも「この豊葦原水穂国は、汝知らさむ国ぞと言依さしたまふ」という同様の文章がある。文章はそれぞれに異るが、瓊瓊杵尊およびその子孫が君主となって日本を治めることは、神の意志に基づくものであるとする内容が共通しており、瓊瓊杵尊の曾孫磐余彦が神武天皇として即位して以来、その地位が皇室によって受け継がれてきたとしている。戦前期にあっては、天皇が日本の国体であることの、法制的・歴史的・宗教的根拠となった。

                             Wikipediaより引用

 宗像大社も神勅をさずかっています。『汝三神は、宜しく道中に降居して、天孫を助け奉り、天孫に祀かれよ』(筑紫の国に降り、沖津宮中津宮辺津宮に鎮まりなさい。そして歴代天皇のまつりごとを助け、丁重な祭祀を受けられよ)。

 

 最後に、宗像大社古事記日本書紀に神様の名前とその鎮座された場所が記された最も古い神社です。神話の時代から続く神社なので、もちろんいつ建立されたかもわかりませんしわからなくてもいいと思います。何世代にもわたって人々を見守ってくださっています。日本人の心のよりどころの天皇家をいつまでもお助け下さい。